叢書 | 初版 |
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出版社 | 双葉社 |
発行日 | 1993/01/15 |
装幀 | 山口喜造 |
作品解説
はじめに
山田正紀「愛しても、獣」は、連続婦女暴行殺人事件を軸に、現代社会における暴力の本質、家族の絆、そしてメディアの影響力を鋭く描き出した心理ミステリーです。
物語の構造
作品は、ある連続婦女暴行殺人事件から2年後を起点に展開されます。主人公の工藤は、この事件で容疑者として逮捕された息子・芳雄の無罪を勝ち取ったものの、マスメディアによって「灰色無罪」というレッテルを貼られ、家族全員が社会から疎外される状況に置かれています。
物語は以下の三つの層で構成されています:
- 表層:息子・芳雄の失踪と、新たな女性失踪事件の謎
- 中層:2年前の連続婦女暴行殺人事件の真相
- 深層:現代社会における暴力の構造と人間の獣性
テーマ分析
1. 家族の崩壊と再生
工藤家の崩壊過程は、現代社会における家族の脆弱性を象徴的に描き出しています。銀行員だった父親の失職、アルコールに依存する母親、そして引きこもる息子という構図は、社会的圧力による家族の解体プロセスを如実に示しています。
2. メディアの暴力性
作品では、マスメディアによる「灰色無罪」という言葉の使用が、工藤家を追い詰める重要な要因となっています。これは現代社会における間接的な暴力の一形態として描かれ、メディアの持つ影響力の危険性を指摘しています。
3. 男性性の考察
本作の最大のテーマは、“獣”という概念。暴力性を持つのは男だけなのか? それとも、社会そのものが獣なのか? 物語を通じて、読者はこの問いと向き合うことになる。
4. 被害と加害の連鎖
物語は、暴力の被害者が新たな加害者となっていく可能性を示唆しています。これは社会における暴力の連鎖構造を描き出すと同時に、被害者の心理にも深く切り込んでいます。
文体と表現技法
山田正紀の特徴的な「乾いた文体」は、本作のテーマである現代社会の冷徹さを効果的に表現しています。感情を抑制した描写が、逆説的に物語の持つ感情的な重みを増幅させる効果を生んでいます。
結末について
結末は明確な解決を提示せず、読者に深い余韻を残す構成となっています。これは、扱われているテーマの複雑さと深さを反映した選択といえます。
社会的意義
本作は以下の問題提起を行っています:
- 司法制度における「無罪」の意味
- メディアの社会的責任
- ジェンダーに基づく暴力の構造
- 家族制度の現代的課題
作品の位置づけ
山田正紀の作品群の中で、本作は特に社会派ミステリーとしての性格が強い作品として位置づけられます。同時に、心理サスペンスとしての要素も巧みに組み込まれており、重層的な読みを可能にしています。
おわりに
「愛しても、獣」は、現代社会における暴力の構造を、家族というミクロな視点とメディアというマクロな視点の両面から描き出した意欲作です。その問題提起は、現代においてもなお強い説得力を持ち続けています。