2025年5月22日

バットランドBatLAND 初版書影

叢書 初版
出版社 河出書房新社
発行日 2018/05/30
装幀 川名潤

収録作品

  • コンセスター
  • バットランド
  • 別の世界は可能かもしれない
  • お悔やみなされますな晴姫様、と竹拓衆は云った
  • 雲のなかの悪魔

脳髄を叩き起こすSFの衝撃! 山田正紀「バットランド」を読むということ

エンターテインメント小説の世界において、常に読者の予想を超え、既成概念を打ち破る作品を渇望する声は絶えません。もしあなたがそのような刺激に飢えているのなら、山田正紀氏の短編集「バットランド」は、まさにうってつけの一冊となるでしょう。この短編集は、科学的知見と奔放なイマジネーションが融合し、読む者の認識を揺さぶる、まさに山田SFの真骨頂とも言える作品群です。

魂を揺さぶる五つの物語――「バットランド」の世界へ

本書は、それぞれが強烈な個性を放つ五編の中短編で構成されています。いずれの作品も、SFというジャンルの持つ自由さを最大限に活かし、読者を未知の領域へと誘います。

「コンセスター」――書き換えられる肉体と現実

冒頭を飾る「コンセスター」は、アメリカ永住権を餌に怪しげな人体実験に志願した男の物語。参照文例にあるように、この作品は「伊東ゆかりの「ロコモーション」・キャロル・キングの「イッツ・トゥ・レイト」と、一気に懐かしい気分になるネタで始まる作品」(ちくわぶ)でありながら、その軽快なリズムとは裏腹に、物語は不穏な方向へと転がっていきます。手に移植された感光細胞がもたらす新たな「視覚」は、主人公の認識、そして世界のありようすらも変容させてしまうかのようです。「ちくわぶ」が「一人称だってのを考えると…」と示唆するように、語り手の主観がどこまで信頼できるのか、読者はページをめくるごとに揺さぶりをかけられるでしょう。

「バットランド」――失われた記憶と宇宙の囁き

表題作「バットランド」は、認知症を患った元天才詐欺師の視点から、壮大な宇宙の謎へと迫る物語です。「WEB本の雑誌」は、この作品の根源にあるものを「見たことのない光景」と表現し、「山田さんは一枚の絵を成立させるため、アタリ線となる物語を組み立て、素材としてアイデアを盛りこみ、それがテーマを惹起する。そんな順番で作品ができているのかもしれない」(WEB本の雑誌-牧眞司)と分析しています。主人公の混乱した意識と、コウモリが飛び交うニュートリノ検出施設「バットランド」、そしてブラックホールの蒸発と情報というSF的ギミックが、ジャコ・パストリアスの音楽とともに絡み合い、圧倒的なイメージとなって読者に押し寄せます。「基本読書」が「この作品の為だけに本書を買っても良いと思えるぐらい好きな作品(筆者注:初出時(NOVA4掲載時)の感想です)」(基本読書)と絶賛するように、認知症という個人的な喪失と、宇宙規模の存在論的問いかけが見事に結びつけられています。

「別の世界は可能かもしれない。」――虐げられた者たちの狂騒曲

「別の世界は可能かもしれない。」は、識字障害を持つ女性作業員や実験用マウスといった、社会の片隅に追いやられた存在に焦点を当てます。ハロウィンの豪雨の夜、水没の危機に瀕した地下鉄構内で繰り広げられる出来事は、まさにバトルロイヤルの様相を呈します。「ちくわぶ」が指摘するように、「世界から除け者にされた者たちが、なぜいがみ合わねばならないのか。世界への怨嗟が満ちた作品」(ちくわぶ)である一方で、「読書メーター」の評にある「マイノリティへの愛が溢れる」(読書メーター)という側面も持ち合わせているのかもしれません。この作品は、現代社会の歪みと、そこにもがき生きる者たちの切実な叫びを力強く描き出しています。

「お悔やみなされますな晴姫様、と竹拓衆は云った」――時をかけるSF伝奇ロマン

豊臣秀吉の「中国大返し」という歴史的事件の裏に、時を操る能力を持つ「竹拓衆」の活躍があったという大胆な設定で描かれるのがこの一編。「ちくわぶ」が「波歩・噛・時場・伝時力などの言葉遊びが楽しくて、ニヤニヤしてしまった」(ちくわぶ)と述べるように、SF的なガジェットや専門用語を独自の解釈で飛躍させる山田正紀氏の手腕が光ります。タイトルはハーラン・エリスンの名作「「悔い改めよハーレクイン!」とチクタクマンはいった」へのオマージュであり、歴史のIFというロマンと、SFならではの奇想が見事に融合しています。

「雲のなかの悪魔」――ワイドスクリーン・バロックの極致

巻末を飾る「雲のなかの悪魔」は、まさに圧巻の一言。汎・泡宇宙を支配する「万物理論知性体」に、人類由来の少女が戦いを挑むという、壮大なスケールの物語が展開されます。「WEB本の雑誌」はこれを「グレッグ・イーガンを経由してアップデートされた『神狩り』というべき物語」(WEB本の雑誌-牧眞司)と評し、その設定の凄まじさを強調しています。泡宇宙、重力知性体、電磁力知性体、量子鉱山といったSF的アイデアが怒涛のように繰り出され、読者を形而上学的な迷宮へと誘います。「ちくわぶ」が「カルピスの原液を更に濃縮したような濃さで、もはや劇薬と言っていい。SFの瘴気をまき散らし、あなたをSFゾンビに変えてしまう危険な物語だ」(ちくわぶ)と表現する通り、その濃密な世界観と圧倒的な情報量は、SFファンにとって至福の体験となるでしょう。

山田正紀SFの「ソーカライズ」と「襲撃」の美学

この短編集全体を通して見えてくるのは、山田正紀氏のSF作家としての特異な資質です。「わたしがSF休みにしたこと」は、山田氏の手法を「最新の科学的知見に関する用語を、厳密な意味において展開しようというよりは、字面からの表面的なイメージに強引なドライブをかけて、アナロジーというにも無理があるような理屈を立てるような面がある」とし、これを法月綸太郎氏の言葉を借りて「ソーカライズ」と呼んでいます(わたしがSF休みにしたこと)。この「ソーカライズ」こそが、科学的考証の枠を超えて、読者の想像力を飛翔させる強力なエンジンとなっているのです。

また、「Book Review Online」は「山田正紀の真骨頂は文体とかストーリーだけではなくて、上記のようなキーワードを操る格好よさにある」(Book Review Online)と指摘しており、キャロル・キングやジャコ・パストリアスといった音楽の引用も、物語に独特のグルーヴ感と奥行きを与えています。

さらに、「わたしがSF休みにしたこと」は、山田作品における「襲撃」というテーマ(『贋作ゲーム』杉江松恋の解説)の重要性を指摘し、「反復して、幾度もいくたびも、彼らはダクトを抜け、あるいはキャットウォークを渡りながら襲撃を続けている」と述べています(わたしがSF休みにしたこと)。本作収録作でも、既存の秩序や圧倒的な力を持つ存在に対し、主人公たちが何らかの形で「襲撃」を試みる姿が描かれます。それは、絶望的な状況下でも人間の尊厳を失わず、抗い続ける魂の軌跡と言えるでしょう。

読む者の挑戦を待つ、極上のSF体験

「バットランド」は、現代SF最前線の傑作短編集です。山田正紀のベテランとしての技量が存分に発揮されつつも、決して「円熟」という言葉では片付けられない冒険的な試みに満ちています。科学とイマージネーションの境界を行き来しながら、読者の想像力を刺激し続ける5編の物語は、SF愛好者のみならず、文学としての深い読みを求める読者にも強く推奨できる作品集です。

認知症の詐欺師、不法就労者、識字障害の女性、時を操る一族、宇宙を支配する知性体—多様な登場人物たちが織りなす物語の背後には、常に「存在」や「認識」という哲学的な問いが潜んでいます。山田正紀はSFというジャンルを通じて、私たちが当たり前と思っている世界の見方を根底から揺さぶります。

さあ、あなたもこの「バットランド」の扉を開き、まだ見ぬSFの風景へと旅立ってみませんか? そこには、あなたの知的好奇心を刺激し、新たな認識の地平を切り開く、忘れられない読書体験が待っていることでしょう。


引用元