
戦争獣戦争 The War of War Beasts
広島・長崎から朝鮮戦争、ベトナム戦争へ─原爆が生んだ「戦争獣」の物語
Table of contents
叢書 | 創元日本SF叢書14 |
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出版社 | 東京創元社 |
発行日 | 2019/10/31 |
装幀・写真 | 山本ゆり繪、岩郷重力+R.F |
戦争という業から逃れられない人類への深遠な問いかけ
山田正紀の「戦争獣戦争」は、作家が長年追求してきた「想像できないことを想像する」という創作姿勢の到達点ともいえる作品である。1994年の北朝鮮・寧辺の核燃料保管施設で目撃された謎の生物から始まるこの物語は、戦争というものの本質を四次元生命体「戦争獣」という驚異的な発想を通じて描き出している。
作品の核心にあるのは、戦争を単なる破壊行為ではなく、人類文明が蓄積した「負のエントロピー」を「正のエントロピー」に転換する清算システムとして捉える斬新な世界観である。この設定は、読者の多くが指摘するように、科学的厳密性よりも哲学的・宗教学的な思考に基づいている。山田正紀は『神狩り』や『弥勒戦争』の頃から一貫して、純粋な自然科学的アプローチよりも人文科学的な視点を重視してきたが、本作ではその姿勢がさらに徹底されている。
「異人」たちが背負う宿命的闘争の意味
物語の中心となるのは「異人(ホカヒビト)」と呼ばれる超人的存在たちである。彼らは華麗島(台湾をモデルとしたと思われる)の山地民族「漂流叛族」の血を引き、体に刻まれた刺青を実体化させる能力を持つ。この刺青獣は単なる道具ではなく、独立した意志を持つ寄生的存在として描かれており、異人たちと複雑な共生関係を築いている。
特に印象深いのは、石嶺夏男、彪牙冬二、憑生智、オ・ジオンといった異人たちが、それぞれ異なる時代の戦争を舞台に繰り広げる闘争である。彼らの行動原理は表面的には理解しがたいものの、そこには戦争という人類の業から逃れられない宿命が色濃く反映されている。読者の感想にもあるように、「死を最終目的にするホカヒビト」という設定は、彼らが単なるヒーローではなく、より深い次元での使命を背負った存在であることを示している。
時空を超越した物語構造の革新性
「戦争獣戦争」の最も革新的な要素の一つは、その時間構造にある。物語は1994年から始まり、1950年の朝鮮戦争、1945年の原爆投下、1968年のベトナム戦争などを経て、再び1995年に帰結する。しかし、これは単純な時系列の往復ではない。作中では「数十年間の『現在』を体感する」という独特の時間感覚が描かれ、過去も未来もすべてが「今」として存在するという感覚が表現されている。
この時間の融解感は、戦争獣という存在が四次元的な生命体であることと密接に関連している。彼らにとって時間は直線的なものではなく、すべての戦争が同時並行的に存在する多層的な現実なのである。読者が「時空を次から次に飛び回るストーリーに頭がついていけなくなりそうになる」と感じるのは、まさにこの革新的な時間概念の表現によるものといえる。
東アジア戦争史の新たな視座
本作がとりわけ注目すべきなのは、朝鮮戦争を物語の中核に据えた点である。多くの戦争SFが第二次世界大戦やベトナム戦争を扱う中で、朝鮮戦争を主要な舞台とする選択は極めて斬新である。これは単なる題材の新しさではなく、東アジアの近現代史における戦争の連続性と、それが現在に至るまで続く地政学的緊張の根源であることを示している。
1994年の北朝鮮核問題から物語が始まることの意味も、ここにある。冷戦終結後も続く朝鮮半島の分断と核の脅威は、戦争獣が生み出す「永遠の闘争」の現実的な表れなのである。山田正紀の戦争観は、個別の戦争を孤立した事件としてではなく、人類文明に内在する構造的な問題として捉えている。
アジア的土俗性と神話的世界観
作品のもう一つの重要な側面は、台湾山地民族をモチーフとした「漂流叛族」の設定に見られるアジア的土俗性である。黄帝と蚩尤という中国古代神話の英雄が戦争獣として現れることで、物語は現代SFでありながら深い神話的次元を獲得している。この神話的要素は、西欧的な科学技術文明とは異なる世界認識の可能性を示唆している。
華麗島の「結晶林(マガタマカガミノモリ)」という幻想的な舞台設定も、この土俗的・神話的世界観を支える重要な要素である。ここでは自然と超自然、現実と幻想の境界が曖昧になり、異人たちの超常的な能力が自然なものとして受け入れられる世界が構築されている。
文明論としての戦争観
「戦争獣戦争」が提示する最も重要な問いは、戦争が人類にとって不可避な宿命なのかということである。作品では戦争を、過度に発達した文明のバランスを回復するための清算システムとして位置づけている。この視点は、戦争を政治的・経済的対立の結果として見る通常の理解を超えて、より根本的な文明論的問題として捉えている。
しかし、物語は単純な答えを提示しない。二体の戦争獣の対立に明確な正邪はなく、読者は「一方を信じたい。でも、もう一方も『正』だと思う」という複雑な感情を抱くことになる。この曖昧さこそが、山田正紀の思想的成熟の表れといえるだろう。若い頃のようにエンターテインメント性を重視した明快な解決ではなく、問題の複雑さをそのまま受け入れる姿勢を示している。
「弥勒戦争」からの発展と深化
多くの読者が指摘するように、本作は山田正紀の代表作『弥勒戦争』との類似点を持ちながら、それを遥かに超える内容となっている。両作品とも朝鮮戦争から始まり、超人的存在による宿命的闘争を描いているが、「戦争獣戦争」では40年の歳月を経た作家の思想的深化が明確に表れている。
「弥勒戦争」が比較的明確な善悪の対立を描いていたのに対し、「戦争獣戦争」では対立する存在の両方に正当性を認める、より複雑で成熟した世界観が提示されている。これは作家自身が「弥勒の時空域を超えてしまった」ことの証左でもある。
現代への預言的側面
作品が2019年に発表されたことを考えると、その内容には現在の世界情勢に対する預言的な側面があることも指摘しておかねばならない。北朝鮮の核問題、中国の台頭、米中対立の激化など、作中で描かれた東アジアの地政学的緊張は、現実のものとなっている。
また、文明の過度な発達とその清算としての破壊という主題は、気候変動や資源枯渇といった現代的課題とも深く関連している。戦争獣が示す「負のエントロピーの清算」という概念は、持続可能性を失った現代文明への警鐘としても読むことができる。
結語:巨匠の到達した境地
「戦争獣戦争」は、山田正紀という作家が長年の創作活動を通じて到達した一つの境地を示す作品である。かつてのようなエンターテインメント性を追求した明快さは影を潜め、代わりに哲学的・宗教的な深みを持った複雑な世界観が提示されている。
刊行時69歳という年齢で、これほどまでに想像力の限界に挑戦し続ける姿勢は、まさに「想像できないことを想像する」という作家の信条の体現といえる。読者にとって理解困難な部分があることは確かだが、それは作品の欠陥ではなく、むしろ到達した思想的高度さの証明なのである。
戦争という人類の業から逃れられない現実と、それでもなお希望を失わない人間の意志。この永遠の緊張関係を、四次元生命体という壮大な仕掛けを通じて描き切った本作は、日本SF史上でも特異な位置を占める傑作として評価されるべき作品である。
『戦争獣戦争』の最大の魅力は、現実とフィクション、神話と現代史、科学と宗教が混然一体となっている点にある。現代東アジアの地政学的な緊張や、戦争という“止められないもの”への問いは、2020年代の今だからこそ強く響く。
参考文献:
- ブクログ「戦争獣戦争」レビュー群 (https://booklog.jp/item/1/4488018378#reviewLine, https://booklog.jp/item/1/B09JK3PZHJ#reviewLine)
- ミステリナビゲーター「戦争獣戦争」評価 (https://mysterynavi.com/novel/N33490)
- MIDNIGHT DRIKER「戦争獣戦争」書評 (https://mojo1520.seesaa.net/article/2022-06-17.html)
- 読書メーター「戦争獣戦争」感想 (https://bookmeter.com/books/14423753)
- Amazon「戦争獣戦争」レビュー (https://www.amazon.co.jp/戦争獣戦争-創元日本SF叢書-山田-正紀/dp/4488018378)
- note 深川岳志「戦争獣戦争」評 (https://note.com/fukagawa/n/neccbbcc39d56)
- ミステリの祭典「戦争獣戦争」評価 (https://mystery-reviews.com/content/book_select?id=13457)
文庫・再刊情報
叢書 | 創元SF文庫(上・下) |
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出版社 | 東京創元社 |
発行日 | 2021/11/19 |
装幀 | 山本ゆり繪、岩郷重力+R.F |