
復活するはわれにあり
肉体は滅びても、魂は叛逆する――山田正紀、冒険小説への鮮烈なる帰還!
Table of contents
叢書 | 初版 |
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出版社 | 双葉社 |
発行日 | 2013/04/21 |
装幀 | 多田和博、西口司郎 |
山田正紀冒険小説の鮮烈な復活
山田正紀の「復活するはわれにあり」は、2013年に双葉社から刊行された冒険小説であり、著者の久々のジャンル回帰として注目を集めた作品です。この小説は、重い病で余命わずか、四肢の自由をほぼ失った主人公・権藤が、超ハイテク車椅子「サイボイド」を武器に、国際的な謀略とテロに立ち向かう姿を描いた力作です。山田正紀の持ち味であるキビキビとした文体、複雑に絡み合う陰謀、そして人間の信念と反骨心が織りなす物語は、冒険小説の醍醐味を現代的なテーマで再構築した傑作と言えるでしょう。
主人公・権藤の異色の魅力
物語の中心に立つ権藤は、末期疾患により全身の麻痺が進行し、車椅子生活を余儀なくされるワンマン経営者です。従来の冒険小説の主人公像――若く屈強なヒーローとは対極的な存在ですが、そのハンディキャップこそが本作の核となっています。彼の身体は衰えつつも、精神は鋭く、死を目前にした反骨心が彼を突き動かします。この設定は、単なる障害の克服を超え、人生の終焉に直面した人間の意地と尊厳を描くことで、読者に深い共感を呼び起こします。
権藤のキャラクター造形について、「ミスナビ」のレビューでは「スーパーヒーローでも正義の味方でもない、ふてぶてしい中年ワンマン社長」と評され、従来の山田作品の「人生の落伍者」とは異なるエネルギーを指摘しています(ミスナビ)。確かに、権藤は時に冷徹で、時に人間味あふれる行動を見せ、読者が素直に感情移入できるバランスを持っています。彼の言動は、設定上の「人でなし」さよりも、むしろ良識と皮肉屋のユーモアに裏打ちされており、これが物語の推進力となっています。
ハイテク車椅子「サイボイド」の役割
権藤の最大の武器である「サイボイド」は、六輪駆動でタラップを登る物理的な機能に加え、脳波で電子機器を制御する神経インターフェイスを備えた近未来的なガジェットです。この車椅子は、物語のSF的要素を象徴する存在であり、権藤の身体的制約を補うだけでなく、彼の意志を増幅する装置として機能します。ただし、「ミステリの祭典」の感想では、「サイボイドの見た目や動きがイメージしづらい」との指摘もあり、描写の詳細さとスピード感のトレードオフが議論されています(ミステリの祭典)。それでも、サイボイドが権藤の反骨心と結びつくことで、物語にダイナミズムが生まれていることは間違いありません。
このSF的設定は、21世紀のトピック――金融工学、民間軍事会社、アジアの海域紛争、無人偵察機など――と巧みに融合し、現代的な冒険小説の枠組みを構築しています。「ミスナビ」の別のレビューでは、「21世紀に入って初めて今世紀らしい冒険小説」と高く評価されており、スマートフォンやサブプライムローン危機といった現代の要素が物語に自然に溶け込んでいる点が強調されています(ミスナビ)。
謀略とアクションのスリリングな展開
物語は、権藤がベトナムで謎の男「ジエイゾ」に拉致され、サイボイドを与えられて大型船「南シナ海号」に乗船するところから始まります。しかし、船はハイジャックされ、権藤はテロリストや背後の謀略に巻き込まれます。ハイジャック犯の目的、「ジエイゾ」の真意、そして権藤自身の選択が交錯する展開は、山田正紀らしい複層的なストーリーテリングの真骨頂です。敵と味方の境界が曖昧な中、権藤がサイボイドを駆って戦う場面は、アクションの緊張感と推理の緻密さを両立させています。
特に印象的なのは、蠍のモチーフです。「ミスナビ」のレビューでは、蠍が物語の結末で「梶井基次郎の『檸檬』のような働き」をし、物語を統合するシンボルとして機能すると述べられています(ミスナビ)。この蠍は、山田作品で繰り返し登場する寓話的な要素(例えば『翼とざして アリスの国の不思議』)を継承しつつ、本作では権藤の闘争心や運命の象徴として新たな意味を帯びています。
山田正紀の冒険小説の復活
本作は、山田正紀にとって「冒険小説の復活」と広く称賛されています。「わたしがSF休みにしたこと」では、ファン待望の新作として「『復活するはわれにあり』は『謀殺の~』の系譜に連なる」と位置づけられ、キビキビした文体と反時代的な理想を掲げる登場人物が山田らしさを体現していると評価されています(わたしがSF休みにしたこと)。また、読書メーターの感想では、「テロリストを含めた登場人物たちが個性的で魅力的」とあり、敵役や脇役の造形も物語の厚みを増しています(読書メーター)。
個人的には、本作の魅力は、権藤の「復活」が単なる肉体的な逆転劇にとどまらず、精神的な再生と向き合う点にあると感じます。エピローグでのもう一つの「復活」をめぐる戦いは、山田正紀の作品に一貫する「大きなものに抗う」テーマを象徴しており、読後に深い余韻を残します。物語の終わりはハードボイルドな冷徹さで締めくくられ、権藤の闘争が一時的であっても鮮烈な輝きを放つ瞬間を切り取っています。
若干の課題と今後の期待
一方で、「読書メーター」のレビューでは、「回収されていない伏線がある」との指摘や、「ストレートな活劇に徹しても良かった」との意見も見られます(読書メーター)。確かに、複雑な陰謀の全貌がやや曖昧に感じられる部分や、サイボイドの描写が抽象的である点は、読者によっては物足りなさを感じるかもしれません。それでも、これらの要素は山田正紀の意図的な「余白」であり、読者の想像力を刺激する仕掛けとも解釈できます。
総じて、「復活するはわれにあり」は、山田正紀の冒険小説家としての力量を改めて証明する作品です。現代社会の課題を背景に、障害を抱える主人公の闘争心とハイテクガジェットを融合させた本作は、冒険小説の新たな可能性を示しています。ファンとしては、秘境を舞台にしたさらなる冒険小説の新作にも期待が高まります。山田正紀の「復活」は、権藤の物語とともに、冒険小説の新たな時代を切り開く一歩となるでしょう。