叢書 | 初版 |
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出版社 | 奇想天外社 |
発行日 | 1980/02/10 |
装幀 | 中西信行 |
SF文学の世界には、宇宙規模の壮大な物語がある。そして、その中でも独特の輝きを放つ作品がある。山田正紀の「デッド・エンド」は、まさにそのような作品だ。北欧神話の世界観を宇宙に投影し、終末と螺旋というモチーフを巧みに織り交ぜた本作は、日本SF界に新たな地平を切り開いた傑作として高く評価されている。
アスガルド:二重星系が生んだ極端な世界
物語の舞台となるのは、アスガルドという二重星系の惑星だ。この惑星の特徴は、その極端な気候変動にある。数百年という周期で、氷づけの寒さと灼熱地獄が交互に訪れるのだ。地球の気候変動問題が叫ばれる現代において、このアスガルドの設定は強烈な印象を与える。 氷の時代と炎の時代が交互に訪れるこの惑星は、生命が存続するには最悪の環境だ。しかし、そんな過酷な世界にあえて移住してきた謎の種族がいる。彼らはオーディンと呼ばれ、まるで自らの滅びを求めるかのようにこの地を選んだのだ。彼らの目的は何なのか。この設定だけでも、読者の好奇心を大いに刺激する。
ルーと裁断者:アスガルドに集う二人の地球人
主人公であるルーは、女流民俗学者だ。彼女はある目的を持ってアスガルドにやって来た。オーディンの研究に最後の情熱を傾けるため、絶望の果てにこの地を選んだのだ。民俗学者がSFの主人公というのも珍しい。これは、山田正紀の作品の特徴の一つだ。神話や伝承、民間伝承などを題材にすることが多く、そこから独自のSF世界を構築する。 そんなルーの前に、もう一人の地球人が現れる。彼は"裁断者"と名乗り、オーディンの正体について衝撃の事実を告げる。「オーディンは人類を滅ぼそうとしている」—この一言が、物語を大きく動かす。オーディンの正体とは何か。なぜ人類を滅ぼそうとするのか。その謎を追う過程で、物語は壮大なスケールへと広がっていく。
北欧神話:終末のモチーフ"ラグナレクル”
本作の魅力の一つは、北欧神話を巧みに取り入れた点にある。特に注目すべきは、"神々の黄昏(ラグナレク)"と呼ばれる終末神話だ。北欧神話では、最後に神々と巨人族が戦い、世界が滅ぼされるという独特の終末観を持っている。
宇宙の始まりを赤子の誕生に喩え、時間と重力が赤子(宇宙)を投げ合って遊んでいるというイメージは実に印象的だ。しかし、時間と重力は疲れ始めている。そして、彼らが宇宙を静止させると、再び赤子が泣き出し、今度はその泣き声を鎮めるのは"無"しかいない。つまり、宇宙は冷たく均質なかたまりに戻り、赤子(宇宙)は永遠の眠りにつく—これが"ラグナレクル(終末)"だという。
このような神話的な文体で語られる宇宙論は、科学的な説明とは一線を画す。しかし、宇宙の誕生から終焉までを神話的言語で表現することで、読者の想像力を大いに刺激する。さらに、この終末神話はオーディンだけでなく、宇宙全体の終末をも予感させるものだ。それは、物語全体を貫く重要なテーマとなっている。
民俗学的アプローチ:神話から現実へ
本作のもう一つのユニークな点は、その語りの手法にある。これは純粋なSFでありながら、民俗学的アプローチから物語が展開していく。主人公ルーが民俗学者であることが、この手法を可能にしている。 民俗学は、神話や伝承、習俗などを通じて、その民族の世界観や価値観を読み解く学問だ。本作では、オーディンの神話を通じて、彼らの正体や目的を探っていく。つまり、神話という虚構から、オーディンという「現実」に迫るのだ。 この手法により、読者は神話の世界に引き込まれつつ、同時にその神話が現実を反映していることを実感する。それは、現代人が古い神話や伝承から何かを学ぼうとする姿勢にも通じるものがある。
螺旋:宇宙を貫く究極の力
終末と並んで、本作のもう一つの重要なモチーフが「螺旋」だ。
驚くべきことに、オーディンは螺旋を宇宙を統べる究極の力、さらには「赤子(宇宙)をはぐくむ母親」と位置づけている。螺旋は彼らの世界観の中で、極めて重要な概念なのだ。 螺旋は自然界に広く見られる形状であり、貝殻、植物の葉や花、銀河の渦巻き構造など、様々な場所で観察される。その普遍性と美しさから、螺旋は古来より神秘的な力を持つと考えられてきた。 本作では、その螺旋が宇宙を救う力として描かれる。疲れ果てた時間と重力を救えるのは螺旋だけだと、イーグは断言する。つまり、螺旋は終末を防ぐ、希望の象徴でもあるのだ。
このような螺旋への着目は、山田正紀の独創性を示すものだ。同時に、この作品が他の作家に与えた影響も見逃せない。「デッド・エンド」は、螺旋を宇宙SFに持ち込んだ先駆的作品と言えるだろう。
壮大なスケールのラスト:人類の運命
物語は、ルーと裁断者がオーディンの正体を追う過程で、驚くべき真実に迫っていく。その真相は、読者の想像をはるかに超えるものだ。オーディンが人類を滅ぼそうとする理由、アスガルドという過酷な環境を選んだ理由、そして螺旋に込められた意味—これらが見事に結び付き、途方もないスケールの結末を迎える。 そのラストは、決して安易な救済や希望を提示しない。むしろ、厳しい現実を突きつけるものだ。しかし、その中にも人類の可能性や、宇宙における人類の位置づけを問う哲学的な深みがある。人類は螺旋の中でどのような役割を果たすのか。終末を迎えようとする宇宙の中で、人類はどのような選択をするのか。 このような問いかけは、現代の我々にも通じるものがある。気候変動や環境破壊、核兵器の脅威など、人類は自らの手で滅亡の危機を作り出している。その中で我々は、自らの運命をどう切り開くのか。山田正紀は、壮大なSFの中にそのような問いを巧みに織り込んでいるのだ。
結び:日本SF界の至宝
「デッド・エンド」は、間違いなく日本SF界の至宝と呼ぶべき作品だ。北欧神話を宇宙規模のSFに昇華させ、終末と螺旋という二つのモチーフを見事に結び付けた手腕は、山田正紀の卓越した想像力を示している。 さらに、民俗学的なアプローチを取り入れることで、神話と現実、虚構と科学の境界を巧みに行き来する。それにより、古い神話の中に現代的な問題を見出すという、新しいSFの可能性を切り開いた。 本作が日本のSF界に与えた影響は計り知れない。螺旋をモチーフとした作品が続々と登場したことからも、その影響力の大きさが伺える。同時に、人類の運命や宇宙における位置づけを問う哲学的な深みは、SF読者に大きな衝撃を与えた。 荒唐無稽に見える設定—二重星系惑星アスガルド、自ら滅びを求めるオーディン、民俗学者と裁断者の出会い。しかし、それらが見事に調和し、途方もないスケールの物語を生み出している。それはまさに、日本SF文学の新たな地平を切り開いた傑作と言えるだろう。 終末と螺旋、そして人類の運命—「デッド・エンド」は、これらの要素を壮大なSF叙事詩へと昇華させた。山田正紀の想像力は、まさに螺旋のように読者を巻き込み、宇宙の謎へと導いてくれる。SF愛好者はもちろん、文学ファンにも強くお勧めしたい一冊だ。
文庫・再刊情報
叢書 | 文春文庫 |
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出版社 | 文藝春秋社 |
発行日 | 1982/04/25 |
装幀 | 東谷武美 |