人間競馬

人間競馬
悪魔のギャンブル

殺意の円環を描く四人、最後に勝ち残るのは誰だ?ガーゴイルたちの賭博の行方

2025年5月10日
2025年5月10日

人間競馬 初版書影

叢書 角川ホラー文庫
出版社 角川書店
発行日 2010/07/25
装幀 大武尚貴(角川書店装丁室、©Getty Images)

殺意の円環と「悪魔的戯れ」の世界

『人間競馬』は、山田正紀の持ち味である「人間の本性を鋭く暴き出す」手法を極限まで推し進めた作品です。作中で「人間競馬」を仕掛けるガーゴイルは、悪魔というよりもむしろ戯れに人間を操る「神の模倣者」と言ったほうが適切でしょう。彼らの振る舞いは残虐でありながら、どこか遊戯的であり、無邪気とも言える好奇心がその悪辣さをより一層際立たせています。

物語の舞台となる新宿副都心に突如現れる城郭は、現代都市というリアリズムの中に幻想を滑り込ませる巧妙な舞台装置です。ここに現れるガーゴイルたちは人間社会の秩序を嘲笑うかのように、人間を競走馬に見立て、その人生を軽々と弄びます。四人の男女は各々が超能力という名の微弱な希望と共に、それぞれ深い闇を背負いながら、この歪んだゲームに巻き込まれていきます。

山田正紀が本作で特に強調するのは「運命への抵抗」と「抵抗の無力さ」という二律背反です。登場人物たちは自らの力で運命を切り拓こうと懸命になりますが、彼らを嘲るようなガーゴイルたちの存在は、「運命とは人間を操る何者かの気まぐれな遊びでしかない」という皮肉なメッセージを放ちます。特に少年・未生敬之が抱える「青春期特有の焦燥」と、保険外交員・伊那城リオが直面する「女性としての社会的圧迫」は、個人的な葛藤の域を超え、より普遍的な人間の悲劇を象徴しているように感じられます。

また、この物語では単なる善悪の二元論が無意味になっています。殺意は絶え間なく循環し、どの人物も状況次第では被害者にも加害者にもなり得る不安定さが全編を貫きます。刑事である高界良三さえも、この殺戮の円環から脱け出せないことが明示され、正義や道徳が人間の本質に深く食い込む残酷さを突きつけています。

超自然的要素を導入しながらも、根底には現代社会のリアルな矛盾と闇が横たわっています。殺し合いのゲームというフィクションを通じて、人間の持つエゴイズム、脆弱さ、そして社会が孕む構造的な暴力を巧みに炙り出す手法は、まさに山田正紀ならではのものです。

物語のラストには見事な逆転劇が待っていますが、その結末は読者の予測を巧みに裏切るものです。この意外性は単なる物語の面白さを超え、人間存在の危うさや運命の皮肉を強烈に印象づけます。

『人間競馬』は、ホラーやSF、ミステリのジャンルの境界を軽やかに横断しながら、「人間とは何か」という根源的問いを鋭く提示する一作です。山田正紀が描く「悪魔的戯れ」に翻弄される人間たちの姿は、私たち自身のあり方を再考させる力強さを秘めています。