2025年5月8日

イリュミナシオン 初版書影

叢書 初版
出版社 早川書房
発行日 2009/09/25
装幀・写真 坂野公一(wells design)

詩的言語で織りなす幻想ハードSF

詩と科学の融合が生み出す壮大な世界観

山田正紀の「イリュミナシオン」は、19世紀フランスの天才詩人アルチュール・ランボーの作品と最先端物理学理論を融合させた、他に類を見ない幻想ハードSFです。内戦に揺れる東アフリカの架空の国サマリスを舞台に、人類の理解を超えた異形の存在「反復者(レペテイシオン)」との戦いを描きながら、ランボーの詩的言語で時空を記述するという独創的な試みが展開されています。

物語は国連領事の伊綾剛が、「アルチュール・ランボーを捕獲するため『イリュミナシオン』へ向かった『反復者』を追って、『非情の河』を下れ」という不可解な任務を受けるところから始まります。イエスの使徒パウロ、阿修羅、小説家エミリー・ブロンテ、詩人ヴェルレーヌというさまざまな時代から集められたクルーとともに「酩酊船(バトー・イーヴル)」に乗り込む彼らの前に、「反復者」が送り込んだ「性愛船(バトー・セクスユエル)」とそのクルーたちが立ちはだかります。

ダン・シモンズへのオマージュと独自の世界構築

本作は、著者自身が後書きで認めているように、ダン・シモンズの「ハイペリオン」を意識して書かれた作品です。特に複数の巡礼者が自らの物語を語る「ハイペリオン」の構造を彷彿とさせる構成が採用されています。「黄金の羊毛亭」のレビューが指摘するように、第一章の冒頭はパスティーシュ風に仕立てられており、シモンズ作品へのオマージュが感じられます。

しかし「イリュミナシオン」という題名自体が、単なる「ハイペリオン」や「エンディミオン」との語呂合わせではなく、ランボーの詩集から取られたものであり、作中にはランボーの作品を元ネタにした語句が豊富に散りばめられています。フランス語のルビが効果的に用いられ、独特の詩的雰囲気を醸し出しています。

重層的な物語構造

本作の魅力は、東アフリカを舞台にした「大枠の物語」と「個人の物語」が絶妙に絡み合う重層的な構造にあります。PKO多国籍軍とゲリラ組織、「酩酊船」と「性愛船」のクルー、人類と「反復者」という複数の対立軸が物語に奥行きを与えています。

「酩酊船」に乗り込むクルーたちの個別の事情が語られていく中で、異なる時代と場所に存在していたはずの彼らがそれぞれランボーと関わりを持つ過程が描かれます。ショットガンを手にスフィンクスの謎かけに答えるパウロ、「反復者」に操られる藤原宇合を暗殺しようとする阿修羅、食事を拒み死に瀕しながら物語を紡ぎ続けるエミリー・ブロンテなど、一見すると強引にも思える設定が山田正紀独自の奇想の世界を形作っています。

科学的想像力と詩的感性の融合

「イリュミナシオン」の最大の特徴は、最先端の科学理論と詩的感性を融合させた独特の世界観です。量子力学や素粒子物理学の理論を基に、ランボーの詩集「イリュミナシオン」の特異な構成——「バラバラのカードのようなもので、ページさえ付されていなかった」——になぞらえた時空構造のイメージが秀逸です。

「たまらなく孤独で、熱い街」のブログが指摘するように、本作には「結晶城(クリスタラン)」「酩酊船(バトー・イーヴル)」「性愛船(バトー・セクスユエル)」「憂鬱なるどこにもない空間(ブルー・ノーウェア)」「暗黒洞(スユグジェスチオン・トゥール)」など魅力的な概念や道具立てが登場します。人類の「ビッグ・バン論」と「ループ対象理論」に対して、「反復者」の「ビッグ・クランチ論」と「超数学素理論」という対立構図も興味深い設定です。

山田正紀流ワイドスクリーン・バロック

本作は「深遠でありながら荒唐無稽ともいえる理論をもとに、壮大でありながらチープさも感じさせる物語」という、山田正紀流のワイドスクリーン・バロックに仕上がっています。特に終盤の「酩酊船」と「性愛船」の戦闘場面などは、その特徴がよく表れた箇所です。

「オッド・リーダーの読感」のブログが面白く表現しているように、「哲学や物理学や数学の最新知識を天使と悪魔の戦いに還元するのは文学でもやれそうだが、それを突き抜けてSFとして巨大ロボット同士の戦いになってしまうのが、たまらなく楽しい」という要素が本作には確かに存在します。

この作品には、以前の本格的なSF作品に比べるとやや肩の力が抜けたような姿勢も感じられますが、それでいて予想外の形で悲哀を感じさせる結末には、作家の円熟した技巧が光ります。

ランボーという鍵

本作の中心に位置するのは、19世紀フランスの天才詩人アルチュール・ランボーです。17歳で驚異的な詩才を発揮し、詩作を放棄してアフリカに消えたその謎めいた生涯と詩的世界が、物語の重要な要素となっています。

山田正紀は、ランボーの詩的言語で時空を記述するという独自のアプローチで、科学と文学の融合を試みています。ランボーの詩が宇宙の真理を解き明かす鍵となるという設定は、SFの新たな可能性を示唆するものといえるでしょう。

実際のランボーは10代で天才的な詩才を発揮した後、突如として詩作を放棄し、アフリカでの商人生活を経て37歳で夭折した詩人です。その謎めいた生涯と「見者の手紙」に表明された「未知なるものを見る」という詩的態度は、本作の世界観と見事に共鳴しています。

結論:詩と科学の境界を超える壮大な試み

『イリュミナシオン』は、読む者の知性と感性の両方を試す、稀有なSF文学作品です。読者に求められるのは、詩を読み解くような構造理解と、哲学・科学への興味、そして何よりも“想像力”です。

この物語の中で、あなた自身が「イリュミナシオン=啓示」に至ることができるか。その旅に出てみてはいかがでしょうか。

参考文献

  1. 「黄金の羊毛亭」
  2. 「たまらなく孤独で、熱い街」
  3. 「オッド・リーダーの読感」
  4. 「アルチュール・ランボー - Wikipedia」