
白の協奏曲(コンチェルト)
『虚栄の都市』への前奏曲(プレリュード) – あの東京テロ小説に通じるテーマの原点を探る
Table of contents
叢書 | 初版 |
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出版社 | 双葉社 |
発行日 | 2007/09/25 |
装幀 | 多田和博、小川アリカ、アスフォート |
白の協奏曲 ―「虚栄の都市」への前奏曲(プレリュード)
ストーリー概要
1970年代後半、スポンサー企業の倒産で資金難に陥った民間オーケストラ「M交響楽団」は存続の危機に瀕していました。指揮者の中条茂はじめ約30名の楽団員たちは、楽団を守るため悪人や裏社会の弱みにつけ込んで詐欺を重ね、活動資金をかき集めていました。ところが、その違法行為の証拠を掴んだ謎の女霧生友子に一同は脅迫されてしまいます。彼女が課した要求は常軌を逸したものでした――東京という巨大都市そのものを乗っ取る「東京ジャック」という途方もない計画への加担です。かくして楽団員たちは半ばやむなく東京ジャック作戦に挑む羽目になります。
そして決行の日。都民を巻き込んだ大規模な“撤去作戦”(東京から人々を退避させる措置)が進められ、楽団員たちは計画通り東京を無人化していきます。一見順調に滑り出したかに見えた東京ジャック計画ですが、その裏では政府や公安当局による極秘の謀略と権力闘争が蠢いていました。実は東京ジャック自体がある巨大な陰謀の一部だったのです。計画の表舞台で奔走する楽団員たちと、裏で暗躍する勢力と思惑…。物語はこの**“表”と“裏”の二つの視点**から並行して進行し、やがてクライマックスでは意外な真相とほろ苦い結末へと収束していきます。
刊行経緯と背景
『白の協奏曲』は1978年に双葉社の雑誌「小説推理」1月号・2月号に前後編で発表されました。当時は単行本化されることなく約30年もの間“幻の作品”として眠り続けていた経緯があります。作者の山田正紀自身がどこか気に入らない点があったらしく、すぐには出版しなかったようです。山田正紀には「シリーズものでも気に入らなければ途中で打ち切る」「単行本も納得がいかなければ文庫化しない」といったクセがあるそうで、手を加えて直すくらいなら新しいものを書くという姿勢を貫いてきましたたまらなく孤独で、熱い街。本作もそうした作者の厳しい自己評価により長らく封印されていたと考えられます。
しかし熱心なファンや評論家の間ではその存在が語り草となり、“ファン垂涎の幻の作品”として知られていました。ミステリ研究家の日下三蔵氏らの働きかけで「面白いからぜひ」と再評価が促され、作者も改めて本作の価値を再発見したのかもしれません。こうして2007年になって山田正紀本人の快諾のもと双葉社から初めて単行本化が実現したのです。初刊行時には日下三蔵氏による詳細な解説も付され、長年の眠りから目覚めた本作は多くのファンの手に届くことになりました。
なお単行本化に際して大きな加筆修正は行われておらず、基本的には執筆当時のまま収録されています。作中では“JR”ではなく国鉄が登場したり、当時の東京都知事が革新系であるなど時代背景に昭和末期らしさが垣間見えますが、物語全体としては古さを感じさせません。それどころか20代の若き日の筆致らしく全編にほとばしるエネルギッシュな“若さ” があり、現代の目で読んでも十分にスピード感と斬新さを楽しめる作品となっています黄金の羊毛亭。
登場人物とキャラクター
本作に登場する主なキャラクターとその役割を整理してみましょう。
- 中条 茂(なかじょう しげる) – M交響楽団の指揮者で、楽団存続のためには手段を選ばない熱血漢。スポンサー倒産後、自ら先頭に立って団員たちと資金調達(=悪人相手の詐欺行為)に奔走します。音楽家らしからぬ大胆さで東京ジャック計画にも挑むことになりますが、根は情に厚い人物です。
- 霧生 友子(きりゅう ともこ) – 突如楽団員たちの前に現れた謎の女性。中条たちの詐欺の証拠を握り、それをネタに楽団員全員を自分の「私兵」として使役します。彼女が立案した非常識な“大プロジェクト”こそ東京ジャックでした。美貌と冷酷さを兼ね備えた策士であり、物語の鍵を握る黒幕的存在です。
- 状元 紀彦(じょうげん のりひこ) – 警視庁公安部のエリート官僚。もう一人の主人公とも言える存在で、霧生友子が仕掛ける東京ジャックの陰で国家権力側の動きを体現します。日本政界の黒幕と呼ばれる神馬康生に接触し、警察・自衛隊・内調など既存組織の縄張りを超えた新たな対テロ情報機関「JCIA」の創設を企図しています。東京ジャックの裏で進行する巨大な陰謀を推進する立場にあり、中条たちと対峙することになります。
- 神馬 康生(しんめ こうせい) – 政界に影響力を持つ老政治家。公安エリートの状元に協力し、“日本版CIA”とも言うべき強大な諜報組織を作ろうと画策する黒幕です。彼の思惑では、東京ジャックのような大事件を利用して世論と権力を動かし、治安出動や情報機関強化など自らの望む体制を整えようとしている節があります。秘書の水沢 知佐子と共に政官界の裏から事件に関与します。
このように、『白の協奏曲』では楽団員サイド(中条たち)と権力者サイド(状元・神馬たち)という対照的な立場の人物群が登場します。楽団員側は素人ながら知恵と勇気で無謀なミッションに挑む集団であり、一方の権力者側は国家規模の謀略を巡らせるプロフェッショナル集団です。それぞれの思惑が交錯し、物語は二方面からスリリングに展開していきます。
構成の特徴:二つの視点と“東京ジャック”の表と裏
『白の協奏曲』最大の特徴は、物語が二つの異なる視点(パート) で同時進行する構成にあります。冒頭から交互に描かれるのは、(1) 東京ジャック計画に巻き込まれ右往左往する楽団員たちの奮闘(計画の“表”側)と、(2) その舞台裏で進行する国家的陰謀と権力者たちの思惑(計画の“裏”側)です。この二重構造により、読者は同じ事件を全く異なる角度から見ることになり、物語に奥行きと緊張感が生まれています。
「…一方では“東京ジャック”という途方もない計画に巻き込まれたオーケストラ団員の様子が描かれ、他方では“東京ジャック”の裏に潜む謀略と権力争いに焦点が当てられています。山田正紀ファンにわかりやすい表現をすれば『火神を盗め』と『謀殺のチェス・ゲーム』のハイブリッドといった感じで、素人集団が“ミッション・インポッシブル”に挑む痛快さと、闇の中で繰り広げられる謀略の非情さとが同居している**…**」 黄金の羊毛亭
上記の書評が指摘するように、楽団員たちの冒険小説的な痛快パートと、権力者たちのスパイスリラー的な陰謀パートを同時に読ませる構成は、本作をユニークなものにしています。まさに 「音楽」と「銃撃戦」を同じステージに乗せた協奏曲 のような趣であり、山田正紀ならではのジャンル融合的なストーリーテリングが堪能できます。
物語はこの二つの視点を頻繁に行き来するため、章ごとに場面が切り替わりテンポよく進みます。実際に本作では楽章になぞらえた 「第一楽章」「第二楽章」… といった形で章立てされており、音楽作品を思わせる構成になっています(「第一楽章」で囚人ゲームの説明が出てくるなど)。読者はまるで交響曲のように、異なるテーマが交替で奏でられる展開を追うことになるのです。
もっとも、視点が入れ替わるたびに物語が中断される形にもなるため、「表と裏の描写が何度も切り替わることで、それぞれがぶつ切りになってやや読みづらい」という指摘もあります。黄金の羊毛亭 しかし東京ジャック作戦がいざ決行されてからの展開はスリリングで、裏側の動きを知っていても肝心な部分は伏せられているため緊張感が損なわれることはありません。むしろ“裏”の思惑を知っている読者だからこそ、楽団員たちの動きにハラハラさせられる場面も多く、物語への没入感が高まります。
さらに物語が進むにつれ必然的に“表”と“裏”の世界が交錯していき、二つのパートの登場人物たちが一堂に会する局面が訪れます。計画の成否とは別の次元で新たな緊張感が高まっていき、物語はクライマックスへ雪崩れ込んでいきます。特に終盤、“東京が普段とはまったく違った顔を見せる”無人の都心部を舞台に、楽団員チームと陰謀側の勢力との最後の対決が描かれますが、それが拍子抜けするほどあっけなく苦い結末を迎えるところに独特の味わいがあります。派手なカタルシスを用意せず、ほのかな皮肉と余韻を残す結末は「これぞ山田正紀」とも言うべき巧みな締めくくりであり、本作をただの冒険活劇には終わらせない格調を与えています。黄金の羊毛亭
『虚栄の都市』との関連 – “前奏曲”的な視点で
『白の協奏曲』のテーマである「東京ジャック(東京乗っ取り)」は、実は山田正紀が後年発表した別作品『虚栄の都市』でも扱われています。『虚栄の都市』は1982年にノン・ノベルシリーズから刊行された長編ポリティカル・フィクションで(文庫化の際『三人の「馬」』と改題)、「東京が震撼した悪夢の48時間」 を描くシミュレーション小説として知られます。突如現れた正体不明の少数精鋭テロリスト部隊が首都・東京に上陸し、爆破や破壊活動を次々と引き起こす中、警察と政府、自衛隊が非常手段で鎮圧に乗り出す…という筋立てで、テロリスト掃討を巡る警視庁と自衛隊の駆け引きが物語の主軸となっています。現実の自衛隊治安出動や組織間対立をリアルに描き込んだ硬派な政治スリラーであり、後の押井守監督の映画『機動警察パトレイバー2』にも影響を与えたとも評される作品です。
では『白の協奏曲』と『虚栄の都市』はどのような関係にあるのでしょうか。結論から言えば、直接的なストーリー上の繋がりはありません。登場人物や世界観も共通しておらず、それぞれ独立した作品です。ただし核となるアイディアが「首都・東京を舞台にした大規模事件(乗っ取り・襲撃)」で共通しているため、『白の協奏曲』は『虚栄の都市』の“原型”あるいは“試作”的な位置づけと見ることもできます。実際、長らく本作が未刊の間、一部ファンの間では「『虚栄の都市』こそが『白の協奏曲』の改稿・発展版ではないか?」と推測されたこともありましたミステリの祭典。1982年に『虚栄の都市』が刊行された時点では、『白の協奏曲』は読めない作品だったためです。
しかしながら、実際に両作を読み比べてみると内容はかなり異なっています。山田正紀自身もアイディアをそのまま流用するのではなく、大胆に再構成して全く別個の物語を生み出したことがわかります。黄金の羊毛亭が指摘するように、『白の協奏曲』の東京ジャックと『虚栄の都市』の東京ジャック(東京襲撃)は手段も目的も「東京を乗っ取る」という状況自体もまったくの別物なのです。『白の協奏曲』では前述のとおり楽団員vs謎の女性という図式で、詐欺や陽動を駆使したある種コミカルで奇想天外な作戦として東京ジャックが描かれました(この感じはまた別の作品「ふしぎの国の犯罪者たち」が趣は近いのかもしれません)。それに対し『虚栄の都市』では、武装ゲリラvs警察・自衛隊という国家の危機そのものを扱い、徹底したリアリズムと緊迫感で東京襲撃が描かれています。
この違いは、作者が同じテーマを異なるアプローチで2度描いたとも言えるでしょう。先に若き日に書かれた『白の協奏曲』は、作者独自の冒険活劇としてポップな発想で東京ジャックをエンターテインメント化した作品です。それが約4年後、『虚栄の都市』においては社会派スリラーとしてスケールアップし、よりハードでシリアスな問題提起を孕んだ物語に昇華されています。そうした意味で、『白の協奏曲』は『虚栄の都市』に通じるテーマの 「前奏曲(プレリュード)」 とも位置付けられると思うのです。音楽の世界でも、後に作曲される交響曲の主題が先行して小品に現れることがありますが、本作はまさに山田正紀にとって東京ジャックという主題を最初に奏でた一曲だったのかもしれません。
もっとも作者自身は『白の協奏曲』を単なる習作とは位置付けていません。あくまで一個の独立した冒険小説として完成させておきながら、新たに別方向から深掘りしたのが『虚栄の都市』と見るべきでしょう。実際、『白の協奏曲』は出版から約30年を経ても内容の鮮度が落ちず、同時代に書かれた『火神を盗め』など他の冒険小説と比肩し得る完成度を備えているとの評価もあります。二つの作品を読み比べることで、山田正紀が描く“東京が舞台の大事件”というテーマの振れ幅と奥深さを実感できるはずです。
評価と読みどころ
『白の協奏曲』は長らく封印されていたこともあり、刊行後には多くのミステリ・SFファンが注目しました。一般的な評価としては、「斬新な設定とストーリー展開が光るエンターテインメント作品」である一方、「若書きゆえの粗削りな部分も見受けられる」という声が混在していますミステリの祭典。例えば前述のように、物語の主要な仕掛けである楽団員による東京ジャックについて、その着想の奇抜さを評価する意見がある一方で、「素人の楽団が計画的に選ばれて陰謀に動員される展開には無理がありリアリティに欠ける」との指摘もあります。終盤の二段構えのどんでん返しについても、人によって好みが分かれるようです。
しかし総じて、本作は 「山田正紀流冒険小説」のエッセンスを詰め込んだ佳作 だと言えるでしょう。日下三蔵氏は解説で本作を「山田流冒険小説の復活」と位置付けています。派手さや大作感こそないものの、逆に言えば山田正紀らしい要素がバランスよく盛り込まれた平均点の高い作品であり、山田作品に馴染みのある読者ならニヤリとできる小ネタも散見されます。貧乏楽団というユニークな主人公チーム、対になるエリート官僚との対決構図、仕組まれた陰謀の謎と意外な真相…と、物語の要素一つ一つは非常に魅力的で、読みどころに事欠きません。
特筆すべきは、音楽とサスペンスの融合という独創性です。オーケストラが犯罪計画の主体となる物語など他に類を見ませんし、タイトル『協奏曲』が示す通り物語全体がまるで一編のコンサートのように構成されている点も洒落ています。実在のクラシック曲名や音楽用語も随所に散りばめられており、音楽好きの読者にはニヤリとできる演出でしょう。また、東京という大都市を舞台に非日常を出現させるスケール感も爽快で、都市小説やパニックものの要素として楽しめます。計画実行中にガランと人影の消えた東京の街並みや、コンサートホールでのシーンなど、映像的な魅力も感じられ、「これはアニメや映画にしても面白そうだ」との声もあるほどです。
一方で、本作はただの荒唐無稽な冒険談では終わらず、権力者側の陰謀劇が絡むことで社会派スリラー的な深みも帯びています。エンターテインメント性と批評性のバランスが取れており、痛快さの裏に権力批判や組織のエゴに対する風刺が垣間見える点も読み応えにつながっています。終盤で明かされるある人物を巡る“真相”や、ほろ苦い結末に込められた皮肉には、デビュー以来ジャンルの枠を超えた作品を書き続けてきた山田正紀らしい知的な遊び心が感じられます。
総合的に見て、『白の協奏曲』は山田正紀ファンならずとも一読の価値がある快作です。長らく埋もれていたとは信じがたい完成度と面白さがあり、デビュー後程なくこれを書いていた山田正紀の才能に改めて驚かされます。冒険小説としての爽快感、ミステリとしての謎解き要素、そしてSF/サスペンス的な仮想シミュレーションの興奮が三位一体となった稀有な物語と言えるでしょう。もし『虚栄の都市』を既に読んでいる方であれば、その“前奏曲”とも言うべき本作を読むことでテーマの源流を発見でき、さらに楽しみが増すはずです。逆に本作を気に入ったなら、ぜひ『虚栄の都市』へと進んでみるのもお勧めです。東京という舞台装置のもと、若き山田正紀が奏でた白熱のコンチェルトを、ぜひ堪能してみてください。
参考文献・引用: